マイソウルヒストリー My Soul History

流れにゆだねてソウルのルーツを辿る旅

半世紀ぶり 〜 苦手意識の芽生え②

私は私なりにチューリップを描いた。

立体的に描くなんてことは頭にもなかった。

チューリップの輪郭を描いて色を塗った。

今思うとただの塗り絵なのだが、それでいいと思っていた。

 

しばらくして伯母が見に来た。

ようこちゃんも私も同じような塗り絵のチューリップを描いていた。

4〜5歳児の絵だよね。

それを見て伯母が怒り出した。

 

私たち2人ではなく、ようこちゃん1人を叱った。

ようこちゃんが無理矢理、私にも同じ絵を描くように仕向けたのだろうと言って、ようこちゃんを叱るのだ。

そんなことはないのに。

すごい剣幕で私に同意を求めるから、私は怖くて小さく頷いてしまった。

ようこちゃんは伯母に叩かれた。

私のせいで。

私はようこちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

自分はなんて卑怯なんだろうと思った。

伯母に「違うよ、私が自分で描いたんだよ」と言えなかった。

伯母の剣幕に圧倒されたのは事実だが、自分をよく見せたい、ようこちゃんと同じじゃ嫌だという思いがあったことは確かである。

 

そんなことがあって、私の気持ちはようこちゃんを避けるようになり、翌年の夏は仕方なく行ったけれど、ようこちゃんを見ると自分の卑怯さを見せつけられるようで嫌になり、それっきり、ようこちゃんと会わなくなった。

 

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桑名市 六華苑

 

あのとき、伯母が2人を同じように叱ってくれたら、私の苦手意識はこれほど強くならなかったかもしれない。

絵が下手だというコンプレックスは、私の場合、人によく見られたいという自分の心の狭さと、人を傷つけても良く見られたいという卑怯な自分を見せつけられることになり、それが一体となって私を苦しめてきたのかもしれない。

 

思えば、あれから、さらに内向的な子供になっていった気がする。

 

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立体的に描くのは難しい

 

人の評価を気にすることから解放されたのは、ほんの数年前だと思う。

60有余年生きてきて、人の評価など、結構いい加減であることも体験して知ったし、何よりも、その時に感じたこと、思ったことをそのまま言えるようになったし、そのまま言っても、相手も自分も傷つかない言い方もわかったし、つまり、愛を持って発した言葉は傷つかないことがわかったのだ。

多分。

それでも傷つくのは、それは相手の問題であり、私の問題ではもうないのだと思う。