マイソウルヒストリー My Soul History

流れにゆだねてソウルのルーツを辿る旅

半世紀ぶり 〜 苦手意識の芽生え ①

4月から始めた通信教育の課題でスケッチを10枚描いた。

絵を描くのは、中学校の授業以来である。

思えば、半世紀も絵を描かずに生きてきたわけだ。

 

描き慣れてないから時間がかかった。

しんどかった〜😩

 

小さい頃は絵を描くのが嫌いではなかったのだ。

それなのに、小学校のたしか2年生ごろ、伯母に言われた一言と、小学校の5年生に教師から言われた言葉が原因で、強烈な苦手意識が芽生えた。

5年生のときは、クラスにずば抜けて絵の上手い男の子がいて、いつもその子と比較されて嫌だった。

だから、高校では美術など取るわけがない。

絵を描くことから解放されて嬉しかった。

それ以来、絵は描かずに生きてきた。

 

ところが、半世紀ぶりにスケッチを描く羽目になった。

それも10枚もである。

その場でささっとスケッチするなんて高度なことは全くできないから、撮ってきた写真を見ながら、丁寧に描くしかない。

時間がかかった〜しんどかった〜〜😩

 

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描きながら、子供の頃を思い出した。

ある出来事があった。

この出来事については、今まで誰にも話していなかったことに気づいた。

それほど、心の深い所に押し込めたままだったのかもしれない。

今回、この10枚のスケッチを描いたことで、図らずも、自分が深い所まで解放されていたことを確認できたようである。

 

 

幼稚園の頃から小学3年生頃まで、夏休みになると必ず母の実家に遊びに行っていた。

今なら車で20分もかからない場所なのだが、当時は不便な列車を乗り継いで1時間以上かかったと思う。小さな子供にしたら、大旅行だった。

母は私を置いてすぐに帰っしまう。

寂しいとは全く思わなかったが、姉と弟は行かず、私だけが行っていたのは、今考えるとなぜだったのかしら?

 

母の実家と言っても、母の両親はすでになく、母のすぐ上の兄の家と、戦死した長兄の家(本家)があった。

長兄の残された家族には子供が2人いたが、私とは歳が離れ過ぎていたから一緒に遊んだ記憶がない。

 

母のすぐ上の兄には子供ができず、遠い親戚から養女をもらっていた。

ようこちゃんと言った。

私より2つか3つ上だったと思うが、知恵遅れだった。

今思うと、悪賢い知恵はあったから、知恵遅れではなく、学校の勉強に馴染まない子供だったのだろう。

女の子なのだが、時々、男の子みたいに乱暴な振る舞いをした。

だが、大人しい私に対しては、そんなことをしたことは一度もなかった。

夏休みの2週間ほど、私はこの子と一緒に遊んでいた。

 

ある日、伯母がチューリップの絵を持ってきて、これを2人で描きなさいと言う。

伯母はインテリで強い人だった。

養女を何とか学校の勉強についていけるようにしたかったのだと思う。

その当時から、伯父の家は冷菓業を営んでいて、夏休みはとにかく忙しかったはずである。

アイスキャンディを作る大きな機械があって、順番に流れていくアイスキャンディの型に木の棒を次々に刺していく。

それが特殊な液体の中に浸かると凍ってアイスキャンディになる。

私もやらせてもらったことがある。

ようこちゃんと遊ぶより、こっちのほうが面白いと思ったことを思い出す。

 

伯母は、忙しいから、ようこちゃんが外で悪さして苦情がくるよりも、家で大人しく絵でも描かせようと思ったのかもしれない。

 

②に続く。

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