斎王「規子」さま①
4月末、斎王が暮らした場所「斎宮」の跡地を訪れたいと思ってから、1ヶ月半が過ぎた。
やっとタイミングがやって来て、昨日、友人を誘って行って来た。
まずは、斎宮歴史博物館へ。
斎王と斎宮を説明する映像が上映されていたが、席に座ったら、首の後ろから頭にぞわぞわした感覚が入ってきた。
こういうときは、何かある。
映像はきれいだったが、ネットで調べて知っていた情報が多かった。
ただ、平安時代のお公家言葉が特殊なのか、現代の日本語とはかけ離れていて、字幕を見ないと何を話しているのか、さっぱりだった。
でも、言霊というものがあるとすれば、抑揚をつけて一語一語をゆっくりと話す、こういう話し方だからこそ、言葉に霊力が宿るのかもしれないと感心した。
歩くスピードもかなりゆっくりである。
一歩一歩、グランディングしながら歩いているような、瞑想しながら歩いているような…(^^)
展示室に入ると、すぐの壁面に歴代の斎王の名前が書かれた年表があった。
なんと、「規子」さまがいた!
平安時代中期だろうか、975〜984年に斎王を務めている。
自分と同じ名前の斎王がいたのだ。
私とどんな関わりがあるのか、知る手立てはないが、規子さまの二代前の斎王は「輔子」さま。
私の夫の名前は祐輔。
「規」と「輔」という見慣れすぎた二つの文字が同時に目に飛び込んで来て、かなり驚いた。
斎王という言葉すら知らなかった私が、古事記に詳しい女性と出会って、なんの脈絡もなく、「あなたはこうした姫さまの一人と関わりがあるかもしれないわね」と言われ、斎宮に来てみたら、自分と同じ名前の斎王がいたという、この流れから考えれば、何か関わりがあるのだろうと、思わずにはいられない。
規子さまについて、さっそくネット検索した。
その結果は、次回に。