マインドが完全に消えた瞬間
私はマインドが忙しい人間だった。
マインド(mind)とは、学校の英語では「心」と習った覚えがあるけれど、南インドの修行所でインド人のダーサジ(教師)の英語を聞いていた経験から、「心」というよりも「頭」という意味に近いのだと分かった。
つまり、「頭の中で考えること」を指している。
日本語の「心」に対応する英語はハート(heart )であり、こちらは心の底から湧いてくる愛とか心地良さとか情熱などを感じる部位を指しているのだと思う。
要するに私は、常に頭を働かせて思考する癖が強い人間だった。
だから、瞑想していても頭の中でマインドのおしゃべりが賑やかで、瞑想で到達すると良く言われる「無」の状態など、ほど遠いと思っていた。
実際、瞑想を始めてかれこれ10年になるが、未だに「無」の状態になったことはない。
けれど、頭の中のおしゃべりはかなり静かになった。
おしゃべりをしていても、そのおしゃべりに気づくようになったので、すぐにまた呼吸に意識を戻せるようになった。
つまり、頭の中でおしゃべりをしているマインドを、一瞬ではあるけど、客観的に見ることが出来るようになった。
あれは、2013年の秋だったと思う。
とても興味深い体験をした。
あんな体験は初めてだった。
3週間のインド修行から帰って来て、1日おいて今度は東京のスピ系のワークショップに参加した。
それは6日間のWSだった。
だから、ほぼ1ヶ月間、スピリチュアルな世界に浸っていたわけだ。
帰宅して翌日、旅の片付けも終わってホッと一息ついて、インドで買ったカシュナッツがまだ残っていたので、それを食べながらお茶しようと思い、輪ゴムでくくったカシュナッツの袋の口を開けようとした。
ところが、どんなにやってもこの輪ゴムが取れないのだ。
なんで取れないのーっ!
と、突然、カシュナッツが飛び出した!
20個ほどのカシュナッツが飛び出して、放物線を描きながら、ゆっくりゆっくり動いて落下していた。
スローモーションである。
何が起きたのか、理解出来なかった。
輪ゴムは取れてないのに、何故カシュナッツが飛び出したのか、わけがわからなかった。
わけがわからない状況を理解できなくて、マインドは思考停止状態になっていた。
ゆっくりゆっくり放物線を描いて落下していくカシュナッツをただ見ていた。
と、思ったら、今度は上から放物線を描いてゆっくりゆっくり落ちてくるカシュナッツを見ていた。
わけがわからなかった。
理解不能だった。
ゆっくりゆっくり落下していたカシュナッツがテーブルの上に辿り着いた。
散らばったカシュナッツを見て、「美しい〜!」と思った。
そう思った瞬間、マインドが戻ってきて、全てを理解した。
「あー、袋が破けたのね〜! インドの袋は材質良くないから〜」
カシュナッツが飛び出してテーブルに散らばるまで、おそらく、1秒くらいの短い時間だったはずなのだが、突然、時間の流れがゆっくりになり、放物線を描いて落ちるカシュナッツがスローモーションで見えていた。
そして、何故か途中で視点が変わり、多分、テーブルに近い位置から、落ちて来るカシュナッツを見上げていた。
私の目が見ていた感覚を思い出すと、少なくとも10秒はかかっていたような感覚がある。
理解不能になると、マインドはパニックになり、思考が停止するのだと思った。
マインドが消えると、こんな世界が見えるのだ。
そう言えば、突然のバイク事故で空中に投げ出された人が、自分の身体がスローモーションで飛んでいた、と話すのを聞いたことがある。
これも似た体験なのだと思う。
それにしても不思議な体験だった。
スローモーションで見えた世界は、美しい世界だった。
ということは、普段、私達が見ている世界は、思考で作り出している世界に過ぎず、実は本当の世界じゃないのではないか。
この5年前の体験をときどき思い出しては、あの世界をもう一度感じてみたいと、その度に思う。
画像はネットから拝借しました。